努力の定義の仕方には、様々なものがあります。
石の上にも三年という。
しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない
松下幸之助
スポーツにしろ、勉強にしろ能力の半分は遺伝的要因であることが、無視できない状態ではありますが、何を大切にするかによって、指導の本質は変わってきます。
1万時間の法則の誤解
努力が報われる
という主張を、振りかざす人が根拠としてよく使うのが、「1万時間の法則」です。「1万時間の法則」とは、米国人作家のマルコム・グラッドウェルが、『天才! 成功する人々の法則』の中で一般に広めた法則で、概要は次のようになります。
・大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな1万時間という気の遠くなるような時間をトレーニングに費やしている
才能よりも努力が重要・・とは言えない
1万時間の法則の最も問題な点は、「1万時間の練習を積み重ねれば、誰でも一流になれますよ」という考えを植え付けることです。
これは、困った考え方です。
練習量に対して、客観的に分析した研究があります。
Macnamara BN, Hambrick DZ, Oswald FL.Deliberate practice and performance in music, games, sports, education, and professions: a meta-analysis. Psychol Sci. 2014 25(8):1608-18.
プリンストン大学のMacnamaraらのグループは「意図的練習」に関するメタ分析を行い、「練習が技量に与える影響の大きさはスキルの分野によって異なり、スキル習得のために必要な時間は決まっていない」という結果を2014年に出しています。
この論文がでは、各分野についての「練習量によってパフォーマンスの差を説明できる割合」を出しています。
努力が報われやすいものと、そうでないものがあるということです。
大切なのは、ピークをどこで考えるか?
努力を定義するのは、非常に難しいことです。また、努力が報われるというのは、いつの時点で報われることを期待するのかを考える必要があります。
例えば、オリンピックに出場した選手にとっては、出場が決定した時点が人生のピークかもしれませんし、日本ではNo1になれずに競技成績では目立った成績が残せなくても、セカンドキャリアにおいて大成することは大いにあり得ます。
その努力が、短期的に報われるものか、長期的に報われるものかは、努力の方向性と努力を発揮する場所によって変わります。
例えば、プロのサッカー選手になれなかった人が、自分の得意なドリブルを磨き続けて、ドリブルデザイナーとして世界で活躍している人がいます。
プロの選手として大成しなくても、指導者として一流になっている人も多く存在します。
他にも、ある競技に向いていなかったとしても、他の競技で成功を収める可能性もあるわけです。
選択肢をどれだけ持っているかというのは、人を育てる大切な要素です。
パフォーマンスはトータルで考える
多角的な視点というのは、常に必要です。
パフォーマンスが伸びなくなった状態(プラトー)の時に、何を考えて選手を伸ばすことができるかも大切な視点です。
例えば、陸上の1500m走の記録が高校に入ってから伸びなくなってしまったとします。
これまでの、走り込みだけの練習では、身体が適応しきってしまい、成長の速度が止まることがあり得ます。
身体全体をとっても、心臓や肺の有酸素能力だけでなく、筋肉の状態や脳や神経からの刺激、道具を使ったトレーニングなど、様々な方法によって今までとは違った刺激を与えることが可能なはずです。
パフォーマンスを全体として捉えることによって、選手が伸びる余地を考えることは可能です。
努力と才能の関係を把握し、長期的ビジョンで、勝負できる環境を整えて、指導していくことが、選手をサポートするものには必要です。
むやみな努力論に終始するのではなく、効率的に努力をデザインしていくことが大切です。
Recent Posts